皆さん、身体に堪えていませんか?
ワンブリファミリーも、さすがに体調を崩しがちなようです。
さて、突然ですがここから少し語らせてもらいますよー。
先週、自己流の断捨離というのでしょうか、気持ちの整理と蘇ってほしい気持ちへの期待を込めて、部屋の片づけをしました。その時、私が中学、高校時の個人日記や友人との交換日記が出てきました。
思わず手を止めて見入ってしまいました。後々、友人に写メで送って(笑)、古き良き幼馴染をもつ喜びをシェアしながら、ああ、こんなこと思ってたんだな、そんな風に考えていたのか、と我ながら、(・_・D フムフムという感じでした。
そして、ここで皆さんにお伝えしたい事があります。
ずばり、、、
私の英語への旅路の原点には、「憧れ」「世界」を感じたいと願う自分がいたことです。
自分から見つけて、選んで、進んだ道です。
写真を載せちゃいます(恥ずかしいですが、少しでも伝えられればうれしいです)。
これは、私が14歳の時点で書いた日記の一部です。
当時、私はちょっと変わっていたのでしょう(笑)、カールルイス氏が大好きで大好きで、彼の走りやジャンプに魅了され、自伝を買っては読み、五輪の年には記事を集めたスクラップブックを作成。こっぱずかしいですが、乙女心が出ている文章じゃないですかね(笑)。
注目は、一番下「そしていつかはアメリカへ」
彼に会いたい一心だったんでしょう。世界の人を見たいという気持ちが溢れていた頃です。
そして高校、大学と進み、アメリカへ渡り、就職。これもすべて自分で選びました。
なぜ、自分からと何度も言うかと言いますと、、、(ちょっと逸れますね)
中学高校は、思春期真っ盛りの時間ですが、私の両親は共働き、母は昔の「集団就職組」だったので高校へは進学できませんでした。そして、私が小学校に上がるころから「お母さんより、学校の先生のほうがちゃんと教えられるから、分からないことは何でも聞くのよ」と「だけ」言われ続けました。そして、「なんかね、夜11時以降にお勉強しても、頭にあまり入らないんだって、テレビで言ってたよ」と、中学に上がるころに言われました。それ以来、徹夜はしたことがありません(笑)。(信じやすい人間だったのかな)
それ以外、両親の口から「勉強しなさい」という言葉は一切言われることはありませんでした。
また、私が小さい頃、何か悪さをした際は、何故怒られたのか、「白状」と「解決」を言うまで、玄関に立たされていました。一度も手をあげることはなく、諭されることの大切さを教えてくれました。
そんな環境で育った私は、成長とともに少しずつ自己責任を学んでいき、自分がやれること、やりたいこと、やるべきことの違いを学んで行ったように思います。
そして、自分は自分と、他の人と自分を比べることより、自分で自分をどうするか
あるいは、心が世界に飛んで行ってしまって、他人を見る余裕がなかったのかもしれませんね。
中学であればジャニーズファンになるのが会話の中心だった時代に、カールルイスですよ。。。(笑)
もう一枚の写真、本当はハグしてもらったり、ほっぺにチューしてもらってる写真もありますが、それはさすがにね(興味がある方にはお見せしますよ笑)。
なんと、カールルイス氏と会う事が出来ました。大阪ではお寿司をご一緒させてもらい、彼のプライベートのお話しを聞くことができました。また、東京では、1996年に完成した彼のスクラップブックを見せ、どんだけファンだったのよ私~をアピールし、サインを貰いました。
14歳で記録した日記が、14年の時を経て、自分では想像もつかない方法で実現したんです。
そういうことはきっと人生で多くはないと思いますが、私は若い頃に「持続」した「思い」の大切さを
改めて思い出しました。
ただ、振り返ってみれば、あの頃の私はいつも願う事を止めませんでした。 スタジアムで競技を見るための道中、電車の中で必死に「良いシートが取れますように」だとか、単純ですけど「思い」を強く持っていたように思います。必死だった自分が懐かしくもあり、そういう気持ちをキープすることをもっとするべきだと思ってもみたり。
人生を作るきっかけは、ほんの些細な事なんですよね。些細な言葉や行いが、若い子供たちにどれだけ多くの「印象」(良くも悪くも→これ重要ポイント)を与えるのか、大人の私達には分かりません。
しかし、子供を「経験」した私達大人だからこそ、今の子供たちの目線に立つときも必要なのではと思ったりもします。時代とともに社会の風が変わりますが、人間の心は今の時代も昔も共通するはずです。
だからこそ、将来に生きる子供たちの可能性を未来へ繋げるため、大人の私達がブリッジになることです。彼らの心を大切に、彼らが一個人としての尊厳と自信を持てるよう、環境を整えていきたいものです。